東京銀座ぎゃらりぃ秋華洞

【特集】広重と歩く江戸

「東海道五十三次」で人気浮世絵師となった歌川広重は、江戸の風景も数多く残しています。
代表作「名所江戸百景」を中心に、広重が描いた江戸の風景を一同に展示します。

江戸の娯楽

お花見や花火など江戸の娯楽はたくさんあった。

広重 《名所江戸百景 両国花火》

名所江戸百景 両国花火

 東京の夏の風物詩、隅田川花火大会。その始まりには、およそ280年前の全国的な大飢饉やコレラの流行が関係している。日本を襲ったこの災厄は、100万人を超す死者を出して終結した。その慰霊祭として隅田川の川開きと共に催されたのが花火大会だったのである。
 夜空にまたたく光、ぱらぱらと花火がはじける音、そしてつんと鼻につく火薬の香りまで感じられる一枚である。

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ここがポイント

花火を打ち上げたのは浅草横山町の鍵屋弥兵衛と、両国広小路の玉屋市兵衛。両国橋の上流を担当したのが玉屋、下流が鍵屋だったといい、本作では両国橋越しに隅田川の左岸を望んでいることから、描かれている花火は「鍵屋」が打ち上げたものと考えられる。

広重 《名所江戸百景 亀戸天神境内》

名所江戸百景 亀戸天神境内

 江戸一番の大きさを誇り、「東の太宰府」と呼ばれた亀戸天満宮。天満宮といえば、菅原道真が好んだ梅が連想されるが、亀戸天神は梅よりも藤で知られる場所であった。花期には藤棚が取り巻く池の周りに参詣人が押し寄せたといい、五代将軍綱吉や八代吉宗も藤見に訪れたほど。現在も4月下旬から5月上旬には「藤まつり」が開かれる、東京随一の藤の名所である。
水面の青と藤の紫、そして紙の白との響きあいが美しい一枚。

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ここがポイント

本図が描くのは、藤の花越しに見る太鼓橋の景。印象主義の画家クロード・モネは自邸の庭に太鼓橋を設け、しばしば睡蓮とともに作品に描きこんだが、それは広重の本作から想を得たものといわれる。

広重 《名所江戸百景 猿わか町よるの景》

名所江戸百景 猿わか町よるの景

 静かな芝居町の夜である。人々の目を引く看板や幟はなく、町並みはうら寂しさすら感じさせる。安政初年に江戸を襲った大地震と台風は三座を休座に追い込んだが、広重の描く風景はこのときの猿若町だろうか。
 煌々と輝く満月と地面に映る人の影。夜の闇にともされたほのかな茶屋の明かり。夜を描いた『名所江戸百景』のなかでも、とりわけ光と影のハーモニーが美しい一枚。

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江戸の花火

8代将軍吉宗は寛永寺周辺での花見のどんちゃん騒ぎを禁じた一方で、庶民向けの花見の場所を開発した。
それが、隅田川墨堤、王子の飛鳥山、品川の御殿山だった。

広重 《名所江戸百景 飛鳥山北の眺望》

名所江戸百景 飛鳥山北の眺望

 飛鳥山とは、現在のJR京浜東北線王子駅一帯の高台を指す。富士がよく描かれる名所絵であるが、本図に描かれるのは遠く北の筑波山。毛氈を敷き酒を片手に楽しむ人、和傘を差してゆったりと眺める人、紅白の扇子を持って踊る人など、皆それぞれに花見を満喫している春である。

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ここがポイント

将軍吉宗が桜を植樹したことでも知られる場所である。近くに鷹狩りに訪れた吉宗は王子、飛鳥という地名が故郷の熊野信仰に由来していることを知って大いに喜び、享保5(1720)年から植樹を命じた。

江戸名所 隅田川春の景

江戸名所 隅田川春の景

新撰江戸名所 芝愛宕山上眺望之図

新撰江戸名所 芝愛宕山上眺望之図

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江戸といえば...

江戸の経済の中心地であり、五街道の起点でもある日本橋。まさに華のお江戸の象徴。

名所江戸百景 日本橋雪晴

名所江戸百景 日本橋雪晴

 雪の翌朝、よく晴れた日本橋の景である。大名行列が渡る橋の下を、押送舟が鮮魚を積んで滑っていく。画面手前は魚市場。平成の世も江戸の世も、経済の中心地といえば日本橋である。港・市場・問屋街という様々な要素を備えた一大商業都市、日本橋のかつての様子をしのばせる一枚。

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東海道五十三次之内 日本橋行列振出

東海道五十三次之内 日本橋行列振出

数ある東海道シリーズの中でもとりわけ高い評価を誇るのが、広重の保永堂版東海道五十三次。 人気ゆえに何度も版が重ねられ、特に売れ行きの良い図では2万枚以上も発行されたという。

ここがポイント

そうした事情から生まれたのが、版木を彫り直し図柄を新たにした「異版(変わり図)」と呼ばれる摺りである。 一般に知られる《日本橋 朝之景》の図では、橋を渡る大名行列のほか数人の魚売りだけが描かれるのに対し、 本図すなわち異版の《日本橋 行列振出》において橋のたもとを行き交うのはなんと総勢28人。 江戸の中心・日本橋の活気が巧みに描き出された一図である。

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