東京銀座ぎゃらりぃ秋華洞

【企画展】鉄道と開化

明治の西欧化は開化絵という新しい浮世絵のジャンルを生み出しました。
浮世絵というメディアを通じて鉄道の開通や新しい風俗は世の中に伝わっていったのです。
開化のシンボル"鉄道"を中心に開化絵、横浜絵を展示します。

銀座 ぎゃらりい秋華洞

4月3日(金)~16日(木)

10:00~18:00(平日)

11:00~18:00(日・祝)

入場無料

鉄道

文明開化のシンボルともいえるのが鉄道の開通。
明治2年に敷設が決定、イギリスからエドモンド・モレルが技師として招かれた。
鉄道の浮世絵は試運転前の明治3年には制作されており、鉄道開通への庶民の関心の高さが伺える。
明治5年9月に開通した新橋・横浜間の鉄道は一日9往復、所要時間は53分だった。車両はイギリスから輸入されたもので、
三代広重の「蒸気車出発時刻賃金附」によると、東京・横浜ともに朝8時から夕方6時まで1時間おき9往復発着。
米一升が5銭の時代に、料金は上等1円12銭5厘、中等75銭、下等37銭だったという。
最高速度は時速50km、平均速度時速33kmだった。

三代広重《東京高輪海岸蒸気車鉄道図》

三代広重《東京高輪海岸蒸気車鉄道図》三代広重《東京高輪海岸蒸気車鉄道図》

高輪・品川間に鉄道が開通するのは明治5(1872)年のこと。本図が刊行されたのは明治4年10月であるから、その2か月前に横浜・神奈川間で開始された試運転を実見して描いたのだろうか。おもちゃのようなカラフルな車体は、あるいは外国の書物を参考に、想像を織り交ぜながら制作したのかもしれない。田町・品川間2.7kmの線路は海上に築かれた堤防上に敷設され、その光景の珍しさからたびたび浮世絵に取り上げられた。

三代広重プロフィール

天保13(1842)年~明治27(1894)年
浮世絵師。画号に、重寅・重政・一立斎などがある。初代広重の門人で、初代・二代同様、「東海道五十三次」の制作も行ったが、作品の中心は開化絵である。発色の鮮やかな紅の合成染料を多用して描かれたその作品は「赤絵」と呼ばれ、明治当時の混乱した空気を今に伝えている。

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山川秀峰《現在の東京駅》山川秀峰《現在の東京駅》

山川秀峰《現在の東京駅》

鉄道開通七十周年記念のため、山川秀峰が本図東京駅を、伊東深水が新橋駅を担当し制作された作品。題材となった東京駅は、明治41(1908)年に着手、大正3年に完成した。

山川秀峰プロフィール

明治31(1898)年~昭和19(1944)年
日本画家。鏑木清方、池上秀畝に師事。モダンな美人画を好んで描き、深水と共に青衿会を主宰するなど、東京画壇での美人画の発展に功績を残した。伊東深水、寺島紫明らと共に「清方門下三羽烏」として並び称される。

横浜絵

幕末から明治初年にかけて、横浜を画題として描かれた浮世絵の総称であり、極めて短い期間に八百数十点が大量生産された。
描かれたテーマは西洋人の風俗、世界の都市、舶来もの、蒸気機関車など。

芳員《横浜見物図会 おさな遊び》芳員《横浜見物図会 おさな遊び》

芳員《横浜見物図会 おさな遊び》

横浜が開港したのは安政6(1859)年6月2日のこと。その翌年に刊行された「横浜見物図会」は、横浜に暮らす外国人の生活を取り上げたシリーズである。西洋人への興味を高めていた日本の人々へ、彼らの暮らしを「紹介」するという性格が強く、一枚の画面のなかにいくつかの事物がまとめて描かれる。シーソー遊びをする子どもと、欧米人の夫婦を描いた本図のほか、ミシンや時計、シャンデリアが吊られた洋館の内部を描いた作品がある。

歌川芳員プロフィール

生没年不詳
浮世絵師。画号に一寿斎・一川・一川斎などがある。国芳の門人で武者絵・花鳥画・草双紙の挿絵を手掛ける。嘉永年間(1848~1854)頃から異国風俗に強い関心を持ち、横浜絵を次々と刊行。現在、貞秀と並んで横浜絵の代表的絵師と評される。

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貞秀《横浜異人商館売場之図》

貞秀《横浜異人商館売場之図》貞秀《横浜異人商館売場之図》

さまざまな国の人々が出入りする横浜の商館。洗濯をする婦人、肉をさばく男、取引を紙に書き留める商館員らの後ろには、外国の書物や象を描いた絵画も見える。日本人はというと、言葉が通じないながらも身振り手振りを交えてなんとか交渉をしているようだ。明治を目前にした横浜の混沌とした雰囲気を伝える作品。

歌川貞秀プロフィール

文化4年(1807)~明治11年(1878)頃
浮世絵師。画号に玉蘭斎・五雲亭などがある。国貞Ⅰの門人で美人画、武者絵、風景画を得意としていた。幕末期には横浜浮世絵を数多く描いたことで知られ、芳員と並んで第一人者とされる。また風景画に関しては、精密な鳥瞰図構図がその特徴である。

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国芳の絶筆

国芳《横浜本町之図》

国芳《横浜本町之図》国芳《横浜本町之図》

人でにぎわう横浜のメインストリート、本町通である。画面左に店を構えるのは、三井呉服店。生糸を載せて行く荷車の脇には、ちらほらと外国人の姿も見える。江戸時代後期を代表する浮世絵師国芳の絶筆。

歌川国芳プロフィール

寛政9年(1797)~文久元年(1861)
浮世絵師。画号に一勇斎・採芳舎・朝桜楼などがある。江戸日本橋にて染物屋の子として生まれたが、文化末年から初代・歌川豊国の門人となり、役者絵・挿絵などを描き始める。文政末年より描き始めた錦絵「通俗水滸伝豪傑」シリーズで人気が急騰。以後「武者絵の国芳」として評判を得る。柴田是真にも学んだとされ、天保期には洋風風景画も手がけるようになり、また戯画の豊かな発想から幕末の奇才と称せられる。