河鍋 暁斎(かわなべ きょうさい)
1831年(天保2)、現在の茨城県古河市に藩士・河鍋記右衛門の次男として誕生する。7歳で浮世絵師・国芳に入門し、10歳で駿河台狩野派の前村洞和、ついでその当主・狩野洞白陳信に学び、19歳の若さで「洞郁陳之」の画号をいただいて修業を終える。しかし修業を終えたのは幕末の頃で、狩野派絵師として生きることは難しかったことから、「狂斎」等の画号で浮世絵、戯画、行灯絵などを描いて糊口をしのいだ。1870年(明治3)10月には筆禍事件を起こすが翌年正月に放免後、号を「暁斎」と改め、絵師としての活動を再開する。
その後は、1876年(明治9)のフィラデルフィア万国博覧会に肉筆作品を出品し、また同年来日したフランス人実業家エミール・ギメや同伴の画家フェリックス・レガメと交流し、広く海外でも活躍が知られるようになり、1881年(明治14)には、第2回内国勧業博覧会へ「枯木寒鴉図」を出品し、日本画の最高賞妙技二等賞牌を受賞し、公的にも評価された。
その後は、1876年(明治9)のフィラデルフィア万国博覧会に肉筆作品を出品し、また同年来日したフランス人実業家エミール・ギメや同伴の画家フェリックス・レガメと交流し、広く海外でも活躍が知られるようになり、1881年(明治14)には、第2回内国勧業博覧会へ「枯木寒鴉図」を出品し、日本画の最高賞妙技二等賞牌を受賞し、公的にも評価された。
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