銀座の画廊「秋華洞」では、これまでにも浮世絵から現代作家の作品まで、時代を問わず美人画の展覧会を開催してきました。今回は甲斐庄楠音のコレクションを中心に展示します。「美人画」というジャンルは江戸時代の歌麿の大首絵くらいから始まった日本美術独得の一大ジャンルですが、ある種のブロマイド的な役割から始まって、明治、大正、昭和と時代を下るに従って、しだいに女の自我、内面に踏み込むような表現に変化していきます。いつの時代も男を狂わせ、女も酔わせる「美人」画の古今あれこれをお見せ致します。
銀座の画廊「秋華洞」では、これまでにも浮世絵から現代作家の作品まで、時代を問わず美人画の展覧会を開催してきました。今回は甲斐庄楠音のコレクションを中心に展示します。「美人画」というジャンルは江戸時代の歌麿の大首絵くらいから始まった日本美術独得の一大ジャンルですが、ある種のブロマイド的な役割から始まって、明治、大正、昭和と時代を下るに従って、しだいに女の自我、内面に踏み込むような表現に変化していきます。いつの時代も男を狂わせ、女も酔わせる「美人」画の古今あれこれをお見せ致します。
展覧会情報
展覧会美人画考【終了しました】
会期2015年5月22日(金)〜6月2日(火)
会場ぎゃらりい秋華洞
時間10:00〜18:00
備考会期中無休 入場無料
甲斐庄楠音 デロリの果てに
甲斐庄楠音「夕化粧」
甲斐庄楠音「夕化粧」
甲斐庄楠音「夕化粧」

甲斐庄と言えば、土田麦僊によって「穢い絵」と酷評された事件が有名である。だが、その後も「悪魔主義」と呼ばれるような「デロリ」とした画風を貫き、大正期を代表する画家となった。46歳のときに映画の時代考証を担当したことから、監督・溝口健二と生涯の友となる。アカデミー賞衣裳部門にノミネートされるなど活躍したが、溝口の死後、ふたたび創作活動をはじめた。
本作品、《夕化粧》は好評を博した82歳の時の三越で開かれた回顧展の翌年発表されたもの。晩年は飄々と生きる人物の有り様を明るい色彩で描き、乾いた深みのある作風へと変化していった。
しかしながら、三越で開かれた回顧展で楠音が掲げたモットーは「穢いが生きていろ」であり、デカダンス精神は時代を経ても変わらず息づいている。

甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと)
明治25(1894)京都~昭和53(1978)東京
日本画家、風俗考証家。京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)卒業。川北霞峰に師事。卒業制作の《横櫛》を村上華岳の勧めで国展に出品し、入選。以後国展に出品を重ねる。大正期の退嬰的、官能的な美人画を得意とする。また風俗考証家として溝口健二監督の映画制作にも携わった。
浮世絵美人画の変遷

美人画というと「浮世絵」を思い出す方も多いのではないでしょうか。美人画といっても、当時の江戸の風俗を繁栄した浮世絵では、大衆に好まれる「美人像」もめまぐるしく変わっていきます。

栄之「青楼美人六花仙 扇屋内滝川」
栄之「青楼美人六花仙 扇屋内滝川」
栄之「青楼美人六花仙 扇屋内滝川」

青楼とは遊女屋、妓楼(ぎろう)を指す。江戸時代、友遊女は美貌と教養を兼ね備えたスター的存在であり、女性にとってはファッションリーダーでもあった。 滝川は新吉原にあった遊郭、扇屋の遊女。花扇に次ぐ二番手の売れっ子だったという。 歌麿は大首絵で女性の内面の美しさを描こうとしたのに対し、栄之は全身、それも坐像を多く描き、其のポーズから女性の美しさを表現した。旗本の出身であった栄之。高貴な女性や高級遊女を好んで描いたのは武士としてのプライドであろうか。その女性像も時には人形のようにも見える媚びることの無い面持ちも特徴である。

鳥文斎栄之(ちょうぶんさい えいし)
宝暦6年(1756)~文政12年(1829)
浮世絵師。初め狩野栄川院典信の門人となり、のち龍斎に浮世絵を学び、鳥居清長に私淑する。当初は清長の亜流とも言うべき作風であったが、寛政期には栄之独特の典麗な十二等身美人像を描き、歌麿画にも影響を与えた。肉筆画にも優れた手腕を示し、版画と同じく清楚な画趣を感じさせる作品を残している。
美人画に込められた新しい女性像

美人画は美しいだけでなく、時代を経るにつれ女性の内面まで描くようになります。西の松園、東の清方と称され日本画の美人画を確立した二人の作品を展示します。

上村松園「古代舞姫図」
上村松園「古代舞姫図」(部分)
上村松園「古代舞姫図」(部分)

女性の社会進出を嫌う保守的な画壇の中、ただひたむきに絵筆をつづけた上村松園。43歳のときの問題作「焔(ほのお)」や代表作「序の舞」など女性の情念や内に秘めたる強い意志を描いた作品で新しい美人画像を確立する。
烏帽子に下げ髪、水干と紅長袴を着て、手に蝙蝠(扇)を持つ白拍子。本作は、画風には大正期の名残が見られるが、落款から昭和初期頃の作品だと思われる。衣が翻る躍動感、そして扇へと向ける眼差しから、白拍子の次の動きへと意識が集中していく。真摯に舞うその姿は美しい所作だけでなく、芸事に賭ける情熱をも描ききっている。若い頃から古典芸能に関心を抱き、仕舞に学んだ松園の芸事への理解の深さも窺える作品。

上村松園(うえむら しょうえん)
明治8(1875)京都~昭和24(1949) 日本画家。本名津禰(つね)。鈴木松年、幸野楳嶺、竹内栖鳳らに師事。《花がたみ》《序の舞》をはじめ、女性ならではの視点で描く清澄な美人画を数多く遺した。帝国芸術院会員、文化勲章受章。
美人画の行方

上村松園、鏑木清方と続いた美人画の系譜。その後広告やポスター等に美人画が使われるようになったものの、表現が多様化する中、美人画というジャンル自体は途絶えているように見えました。そうした中、現れたのは独自の技法で女性を描く池永康晟です。

池永康晟「期待・ゆう」
池永康晟「期待・ゆう」(非売品・参考出品)
池永康晟「期待・ゆう」(非売品・参考出品)

ギャラリーで池永康晟さんの画集「君想ふ百夜の幸福」(初版、サイン入り)をご購入いただけます。
ホームページからも注文可能です。

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池永 康晟(いけなが やすなり)
1965年大分県生まれ。大分県立芸術短期大学付属緑丘高等学校卒業。自身で染め上げた麻布に岩絵具で描く美人画が、独特な質感と芳香を放つ。文房具や本の装丁など海外からのオファーも多い。2014年に刊行された画集「君想ふ百夜の幸福」はロングセラーを続けている。AKBとのコラボ、版画やぬりえ、カレンダーの発売の他に美人画集の監修を行うなど活躍の場を広げている。