夢二は、「美人画の系譜」と述べた時、中心にはいない。
美人画という島が大きくあるとしたら離れ小島にポツネンといる。
師匠も弟子もいない。似た絵を描いた人は、先達にもその後もいない。
だが、美人画の理想、のようなものがあるとしたら、実は彼はその真ん中にいる。他のすべての職業画家は、歴史という文脈に吸収されて影になる。夢二、という言葉だけでイマジネーションが幾らでも湧き出す。鈴木清順がまさに彼の名前の映画を撮っているが、夢二の世界はまさに夢の世界。名前で映画を撮れるのは、夢二だけだ。
夢二の仕事は多岐にわたる。小説挿絵、音楽本イラスト、装丁デザイン、木版、油彩、日本画、自らのブランドショップとも言える「港や」の経営さえしている。
夢二の評価は高い。あのイラスト的な筆数の少ない省エネの絵は、同じく省エネを試みた画家の数倍する。簡単なものでも。百万では手に入らぬ。数百万は用意しなければ、良いものは買えない。
夢二はモデルの女との交渉、ロマンに生涯関わった。美人画といえばいそうなタイプだが、いない。多分、現代の画家も夢二の生き方を採りいれたいものもいるだろうが、なぜかできない。モデルに惚れ抜く、モデルが画家に惚れ抜く、そして別れと出逢いを繰り替えす夢二の生き方は、しんどいし、世間体もよくはなかろう。現に夢二は50を迎えずして死んだ。別れは命を消耗するのである。
夢二の仕事は、今の絵描きにも大いに参考になる。美人画の世界は、それまで徒弟制度のシガラミの中にあったが、夢二はまったくの独学自己流で絵を描いた。技法も仕事もバラバラ、女遍歴も奔放なのはしがらみのなさ、別の言葉で言えば孤独がもたらしたものだろう。
だが今、美人画というジャンルを見渡した時、夢二ほど愛されて人の記憶に残った画家がいただろうか。専門の美術館がいくつも建っているのは偶然だろうか。
新しい絵画、愛される絵画、誰にも真似のできない絵画は、孤独から生まれる、しがらみからは生まれない、という事を示唆しているように思う。
秋華洞として二代目、美術を扱う田中家としては三代目にあたります。美術や古書画に親しむ育ち方をしてきましたが、若い時の興味はもっぱら映画でした。美術の仕事を始めて、こんなにも豊かな美術の世界を知らないで過ごしてきたことが、なんと勿体無い日々であったかと思います。前職SE、前々職の肉体労働(映画も含む?)の経験も活かして、知的かつ表現力と人情味あふれる、個人プレーでなくスタッフひとりひとりが魂のこもった仕事ぶり、接客ができる「美術会社」となることを目指しています。