歌麿は、一種の幻のように感じさせる存在だ。
浮世絵商としても、簡単に「わかった」と言わせない何かがある。
浮世絵は、美人画と呼ばれる存在の元祖だけれども、その描法は、基本的に「個性」というものを無視する。むしろある種の様式美を定めて、お茶屋のアイドルだろうが、遊女であろうが、同じ顔に当てはめてしまう。
歌麿もその様式美の極地なのだけど、ある種の彼の作品は、現代人が泣いて悔しがっても真似できない、完璧さを持つ。人間の顔を描いた、というより、完璧な数学的曲線が、これ以上ない精確さでレイアウトされている。
個人の顔を無視、という「伝統」は清方・深水あたりまで続くのだが、顔のクローズアップでいっぺん頂点まで登りきってしまったのが歌麿なのである。
価格の面でも、100万ドル(一億円)を超えた価格がついた版画美人画は歌麿ただひとりである。一〇年前のクリスティーズで『もの思ふ恋』が100万ドル超えを狙って売り出されたのは記憶に新しい。残念ながら落札はされなかったが、浮世絵のスターは、やはり、北斎、、写楽そして歌麿なのである。
有名な春画『歌満くら』や、植物を博物誌風に描いた「画本虫撰(むしえらみ)」、秀麗な肉筆絵画など、歌麿について語るべきことは幾らもあるが、ほぼ宇宙からの贈り物とでも表現するべき精妙な版画作品は「浮世絵」世界全体を世界の美術史の中で遠く高く釣り上げている。
浮世絵師。別号は多数あり、豊章・石要・木燕・燕岱斎・紫屋などの例がある。『浮世絵類考』には「はじめ鳥山石燕門人にて狩野派の画を学ぶ」とあるが、初期作品において石燕の影響は顕著ではなく、筆法は勝川派風である。後に版元蔦屋重三郎の知遇を得て、天明後期から寛政前期(1800年前後)に掛けて同版元の多色摺による絵入狂歌本多数に作画し、刊行する。写実的な新境地をみせて次第に人気上昇。寛政3年頃には「美人大首絵」という新様式の 美人画 を発表。背景を雲母摺や黄潰しで処理した独特の様式で美人絵師の第一人者となる。
秋華洞として二代目、美術を扱う田中家としては三代目にあたります。美術や古書画に親しむ育ち方をしてきましたが、若い時の興味はもっぱら映画でした。美術の仕事を始めて、こんなにも豊かな美術の世界を知らないで過ごしてきたことが、なんと勿体無い日々であったかと思います。前職SE、前々職の肉体労働(映画も含む?)の経験も活かして、知的かつ表現力と人情味あふれる、個人プレーでなくスタッフひとりひとりが魂のこもった仕事ぶり、接客ができる「美術会社」となることを目指しています。