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本企画の作品は、令和2年7月15日(水)~7月21日(火)の期間
銀座ぎゃらりい秋華洞にて展示いたしております。
ご来廊お待ちしております。
※画像か、作品詳細はこちら をクリックで、「作品紹介購入お問い合わせページ」に移動します。
※浮世絵、現代作家作品などは、【浮世絵ぎゃらりい秋華洞】【SHUKADO CONTEMPORARY】サイトに移動します。
中国山水画において、在野の文人画家が取り上げた山水画である「南宗画」。
日本における「南画」とは、その「南宗画」を中心とした中国絵画の影響を受け、江戸時代中期頃の日本において盛んになった山水画を主とする絵画様式のことです。
描かれるのは、あるときは中国を起源とする理想の山間風景、
またあるときは憧れの隠遁生活、そしてまたあるときは自由な仙境世界といった山水画。
引用や自作の漢詩を添えて描かれるものが多く、詩書画が一体として味わえるのも見どころ。
文化人、教養人が愛し、嗜みとした南画・文人画の世界。
忙しい現代の毎日、いまこそ彼らの豊かな精神性や心のゆとりに目を向ける時ではないでしょうか!
南画の精神が息づく新旧の作品を厳選してご紹介いたします。
春木南溟「曲水図」
春木南溟は江戸後期から明治期に活躍した南画家。父は南画家界のスターの一人、谷文晁と人気を二分する春木南湖。
息子南溟の名声ももちろん高く、また性格も温和だったそうで、山内容堂や松平春嶽、細川家といった有力なパトロンに寵愛を受けていました。
本作は東晋の時代、文雅の士が集い、曲水に盃を流して詩作を楽しんだという故事を題材とした作品です。
蘭亭曲水の宴は作例の数多残る画題ですが、本作での主たる座は王羲之ら文人たちではなく、彼らを包括する雄大な山水の景へと変容しています。
緑青や群青で彩られた山塊は現実離れをし、ここが私たちの辿り着くことのない世界であることを知らせます。
しかし、胸元をはだけて心友と談笑する彼らの一人になりきりさえすれば、眼前に展開する深淵なる仙境で遊ぶことができるでしょう。
鮮やかな色彩から、上等な絵具の使用が伺われ、裕福なパトロンの後ろ盾も感じることができます。
作品詳細はこちら
谷文晁「野鹿図」
日本南画界のスーパースターの一人、谷文晁!
本作は「江戸派の絵画―谷文晁の画業をさぐる―」展(昭和54年、神奈川県立博物館)出品された一幅。
鹿は「禄」の字と中国語で音通することから、古くより吉祥画題として描かれてきました。
また、淡彩ではありますが青や緑を施した青緑山水も、時に福徳的な意味を持ちます。
とりわけ文晁とその弟子たちは青緑山水という技法にそのような意義を見出していたと考えられています。
一方本作の魅力は靄や霞のかかった湿潤な景色に鹿の鳴く声が聞こえてくるような叙情性でしょう。
八宗兼学と評された文晁によって、中国的な祥瑞モチーフが和歌の世界に融合しています。
谷文晁「赤壁舟遊図」
長江に浮かべられた舟は、そびえる懸崖の脇を抜け月明かりの下へ出ようとしているようです。
崖の上から垂下する木々は舟の方へと興味を惹かせながらその進む先を示しているようでもあります。
蘇軾による「赤壁賦」は東アジアの各国でいくつもの作例が残りますが、中でも文晁はこの画題を得意としたらしく近い図様を用いた作品も何点か観られます。
古代の戦跡に擬えながら雄大なる自然を肴に酔い、音楽に耽ることは私たちにとっても変わらぬ憧景なのではないでしょうか。
岡田米山人賛 岡田半江画「谿山煙雨図」
岡田米山人とその子半江は画風を大きく違えますが、米山人が我が子のために画賛をいれ、合作としたものが何点も見られます。
山肌や樹木に見られる自在な線はわずかに米山人を思わせますが、湿潤な墨点を濃淡を変えて打ち込み、雲霧のかかり枝葉を濡らした山の描写は半江の得意とするところです。
水辺の小屋より谷間の楼閣へと遊べば、木立に誘われて大幅の雲間に深山の立ち現れるのが必ずや体感されます。
田崎草雲「梧下清暑図」
田園生活の素晴らしさを詠んだ李漁の「伊園十便十二宜詩」、そのうち「宜夏」は夏を過ごす上での快適さを褒め称えます。
高々と垂直に伸びた梧桐の葉の茂る様は瑞々しく、邸内に心地よい木陰をもたらすことでしょう。
茅屋の中で一人涼む老人が見えます。文人たちは別業と呼ばれる自らの山荘を理想郷に擬えて描くことをしました。
草雲もまた白石山房という山荘を構え、本作もその蓮岱寺山で描いたと款記に著します。
夏の暑さも忘れる清涼とした時を自らの質素な別業で過ごす歓びが画から伺えます。
小室翠雲「武陵桃源図 「楓林停車図」
右幅の「武陵桃源図」は陶淵明の「桃花源記」に、左幅の「楓林停車図」は杜牧の詩「山行」にそれぞれ取材したもので、文人たちによって愛された画題でした。
書画両方を味わえるのも南画の楽しみの一つです。
【読み】
青山欲転緑渓廻 古木春雲掩不開
借問桃源在何処 但看流水落花来
翠雲衜人貞(印)
遠上寒山石逕斜 白雲生処有人家
停車坐愛楓林晩 霜葉紅於二月花
歳在丙寅冬抄写於博多客舎
翠雲衜人貞(印)
漁師が偶然辿り着いた桃の咲き乱れる理想郷と、山道でふと目に入る鮮烈な紅、深山を巡る中で見つけられた色彩が対比た右幅。
一方、画面の下部で櫓を持つ漁師には未だ奥深くの桃園は知られず、山に座して遠くを見やる高士の足元で瀑布と紅葉は見事です。
二幅を並べてみれば、漁師と高士は互いの色を愛でているようであり、時空を越えた遊び心が感じられます。
小室翠雲「賦色緑陰清昼図」
雨後の樹枝に一羽のカケスが止まる様を捉えます。
水を帯びた葉はたらし込みによって不規則な変化を含み、緑が紙に深く染み込むようです。
賛の詩では雨上がりの谷間や山の緑の清らかな情景を詠んでいますが、画中にその光景を見出すことは叶いません。
しかし一際目を引くカケスの水色の清新な鮮やかさが、一羽の小禽を見つめる私たちを一瞬のうちに深山渓谷へと誘います。
尾竹竹坡「山水夏景」
田植えも終わり、田圃に青々と点描が打たれた頃、手前の山塊を越えたところには農家が覗かれます。
田家を囲い陰をもたらすであろう夏の木立は緑を徐々に深め、緑青は複雑な色調を生み出します。
輪郭線を排除し、曖昧とした形容の山岳はきっと湿気を多分に含んでいることでしょう。
数羽の小禽が飛び立つ、その声に耳を傾ければ、一時ばかりの涼やかな時間が過ごせましょうか。
松林桂月「新緑」
日本の絵画は長らく、対象を描く際にそのものらしい型に当てはめることをしてきましたが、そこから脱して最初に瞬間的な表現を切り開いたのが江戸時代の南画家たちでした。
松林桂月の画は近代的な光や空間の表現を取り入れ、そこから受ける印象は幾分異なります。
しかしこの画を一目すれば彼がその系譜を引くことは諒解されることでしょう。
風の吹付けたその一瞬、木の葉が騒ぎ、水鳥が飛び立ち、湖面に波が起こり色が散乱する。
そこで感じられるすべての体験が凝縮されたような一幅です。
橋本関雪 松林桂月 他「諸家画冊」
橋本関雪を中心に、川合玉堂、松林桂月ら高名な日本画家、南画家らが画を寄せています。
私的な芸術を標榜する文人たちにとって、共に趣味を愉しむ友人は最も尊いものとされ、そのような集いにおいて制作された小品に優れた出来栄えを見せることも多々あります。
その名の示すとおり仙境を思わせる花を桂月は称え、野口小蘋が南画の典型的な構図で春霞のかかる山景を描くように、それぞれが得意とする画題を選び、簡潔な筆致に技工が冴えます。画家たちの楽しき協奏を愛玩することこそ私達に許された至上の愉悦でしょう。
橋本雅邦「独釣図」
釣り人は自然に生きる高潔な人物の象徴として樵と同様山水の中でよく見かけます。
漁師の周囲に広がる、輪郭線を用いずに、水墨の滲みを利用して景物を描く技法は「玉澗様」として室町時代より多くの作例が存在します。
狩野派の伝統を継ぐ画家ならではの熟達した技術がみられますが、右奥の金地の空間の中へと隠れる表現には清新さをも感じさせます。
水面に差し込む光が反射して、あたりが金色に包まれたような幻想的空間です。
川合玉堂「春陽」
この作品は、玉堂が終の棲家として移り住んだ奥多摩・御岳において描かれました。
画面は墨と色彩の調和が光と空気を感じさせながらも、玉堂晩年の闊達な筆さばきの魅力にあふれています。
中国由来の文人の絵画が日本に定着する過程で、その大成者たちは日本の実景を踏まえること、あるいは中国画題を日本の風景のように見せることを積極的に行いました。
御岳周辺の実景をもとに描かれたと考えられますが、花咲き誇る山間部での自然との共生は文人たちの憧れでもあります。
不思議と懐かしさを覚える、日本の普遍的な原風景も当時より急速に失われ始め、現代の日本人にとっては理想郷へと変化しているのではないでしょうか。
玉堂の描く郷愁を帯びた詩的な山村は、南画の歴史の終着点に思えます。
クスミエリカ「現代装置」
デジタルコラージュによる超現実主義的な世界観が、不思議な開放感と郷愁を誘うクスミエリカの作品群。
目に心地よく理知的に構成された画面、遥か無限の奥行きは俗世のしがらみまでもさり気なく包み込み、現代の桃源郷の如き空間へなめらかに観者をいざないます。
コラージュが生む多様なイメージのレイヤーは、作品世界に深い精神性と研ぎ澄まされた感性とを注ぎ込み、今まさに生まれ直した新たな南画様式を見せてくれるかのようです。
クスミエリカ「世捨て人の庭」
隠遁世界は南画の主たる題材の一つ。
世俗を断ち切った奥山にある閑静な庵での慎ましやかな生活、そういったは隠遁世界は文人の望む究極の境地です。
「世捨て人」の言葉には、寂寥の念とともに、世俗との決別する潔さ、清々とした晴れがましさへの憧れをも抱かせます。
SHUKADO CONTEMPORARY 作家
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狄青 Di Qing「回望」
中国、台湾、日本と住む場所を変え、ヨーロッパも旅をしながら生まれたDi Qing(ディー チン)の作品は、アジア的な古典的なモチーフに現代的装置を巧みに取り込んで、上品でありながらモダンな世界観です。
静謐で、何者ともわからない不可思議な貴人が佇み、眠り、戯れる様は、どこか浮世離れした仙境の如き空間。
詩歌を口ずさみながら、静かな奥山をそぞろ歩き、自然と一体となる。心穏やかな隠者の生活を夢想させてくれる作品です。
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