一見、美人画と思いきや、羽織に染め抜かれた「丸に結綿」は濱村屋(屋号)の定紋であること、女形の紫帽子から歌舞伎役者の瀬川菊之丞とわかる。
七世市川団十郎は化政期から天保にかけて活躍した歌舞伎俳優、歌舞伎十八番を選定したことでも知られる。五世松本幸四郎は鋭い目つきと高い鼻が特長で実悪(じつあく)と呼ばれる謀反人・大盗賊など、終始一貫して悪に徹する敵役を得意とした。
手軽な行楽地として人気があり、浮世絵にも良く描かれている。
『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』の茜屋半七、演じるのは明治・大正期の上方歌舞伎を代表する歌舞伎役者、初代中村鴈治郎(1861-1935)。芸を追求する姿勢で知られ、同じ役柄でも日々型を変えて演じたとの逸話が残る名優。切れ長の目、ほのかに染まる耳朶に色気が香り立つ一枚。
四代目市川小団次は文政3(1820)年に父と共に大坂へ上り、三代目市川升蔵に入門。上方の子供芝居に出演しながら修行を積む。その後、七代目市川団十郎に引き立てられ、弘化元(1844)年に市川小団次を襲名。3年後には江戸へ戻り、大阪仕込みのケレン(※大道具や小道具の仕掛けを使って、観客を驚かせるような演出のこと。早替りや宙乗りなど)で大変な人気を博した。派手な演出で注目を集めた一方、あらゆる役を巧みに演じ、当時の流行歌には「似顔は豊国、役者は小団次、作家は黙阿弥」と歌われたほど。
浮世絵師。画号に一雄斎・五渡亭・月波楼・琴雷舎・香蝶楼などがある。 初代豊国 の門人で弘化元年(1844)に豊国の号を継ぐ。舞台の興奮が伝わってくるような 役者絵 を描き、「 役者絵 の 国貞 」と呼ばれる。また 美人画 に於いても時代の好みを反映した粋で艶な猫背猪首型の美人を描き、人気の高さはその圧倒的豊富な作画量に象徴される。
歌舞伎の楽屋を描いた双六。上がりの中央上の部屋には、河原崎権十郎(後の九代市川団十郎)、左の座頭部屋には四代目中村芝翫がいる。下の階には作者や小道具の部屋も見える。
天保の改革を機に水野忠邦によって取り潰されそうになった中村座(一番奥)、森田座(手前)、市村座(真ん中)の江戸三座は、名奉行、遠山金四郎の助言により浅草に集中移転された。これが猿若町。芝居小屋が一箇所に集まったことで、交流も競い合いも盛んになり、町も一大歓楽街として栄えた。画は芝居がはねた後の様子。
浮世絵師。歌川豊広に師事。透視図法を取り込んだ巧みな画面構成、遠近の対比などによって描かれた名所絵は海外でも高い人気を誇る。代表作に《東海道五十三次》《東都名所》《名所江戸百景》等。
この他にも役者自身の「書」や役者絵、歌舞伎にまつわる作品を展示いたします。ぜひ、お越しください。