盛況のうちに幕を閉じた大英博物館での「春画展」。
入場規制をする日もあるほどの人気で、社会的にも大変注目が高く、イギリスの大手新聞にも大きく取り上げられました。
しかし残念なことに本家、日本での巡回展開催はかなわず……。
そこで、秋華洞が緊急企画として春画展を開催します!(展覧会は終了しました)
エロティックな一面がどうしても注目されがちな「春画」。
春画といえば、江戸の人々にとっては身近なものでした。
男女の性だけでなく、春画は「生命力」のシンボルとして、
武士が戦いの際、鎧の下に忍ばせたり、春画を持つと蔵が火事にならないとも言われていました。
火事除けの春画として有名な、上方の絵師・月岡雪鼎の肉筆春画。
大英博物館の春画展にも出品されていて注目を集めていました。
性教育として、嫁入りの際に持たせたりということも一般的でした。
おめでたいものとしてお正月に豪華春画をつくらせ、大名同士で送りあう風習もあったそうです。
例えば、国貞の「花鳥余情吾妻源氏」は越前福井藩の松平慶永が作らせたものという説があります。
春陽堂店主・和田篤太郎が製作し、年玉として得意先に配ったものと言われています。
春画が当時の人々に一般的だった証に、ほとんどの絵師が春画を手掛けています。
ときにはアクロバティックなポーズを描く春画は絵師の技量が試される分野だったのです。
今回は春信、歌麿(歌まくら)、北斎、英泉、国貞、司馬江漢、柳川重信、西川祐尹など幅広くご紹介します。
多くは夫婦(若夫婦から老夫婦まで)、職人、使用人、奥女中と庶民が主役。こどもが出てくるのもお約束です。
画面いっぱいに描かれるのは、中年夫婦の妻が夫に布団を掛けてやる中睦まじい姿。
浮世絵師。別号は多数あり、豊章・石要・木燕・燕岱斎・紫屋などの例がある。『浮世絵類考』には「はじめ鳥山石燕門人にて狩野派の画を学ぶ」とあるが、初期作品において石燕の影響は顕著ではなく、筆法は勝川派風である。後に版元蔦屋重三郎の知遇を得て、天明後期から寛政前期(1800年前後)に掛けて同版元の多色摺による絵入狂歌本多数に作画し、刊行する。写実的な新境地をみせて次第に人気上昇。寛政3年頃には「美人大首絵」という新様式の 美人画 を発表。背景を雲母摺や黄潰しで処理した独特の様式で美人絵師の第一人者となる。
「あねさんをどうしやアがる このやらうは」と食ってかかる子どもの姿がいじらしい。
春画は、歌舞伎役者や東海道五十三次、忠臣蔵など、人々に知られたモチーフを多く取り上げました。
本作は、曲亭馬琴『南総里見八犬伝』に想を得たもの。
浮世絵ぎゃらりい秋華洞は浮世絵のオンラインショップです。浮世絵をはじめ巻物や和本など多くの作品を取り扱っています。春画もご覧いただけます。
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