長々と連載しておりました
「難しくて楽しい伊藤晴雨の世界」の【その4】最終回をお送りします。
難しくて楽しい伊藤晴雨の世界【その1】
難しくて楽しい伊藤晴雨の世界【その2】
難しくて楽しい伊藤晴雨の世界【その3】
徐々に解釈が苦しくなってきましたが、残りの難問に挑んで参りましょう。
では、【右下】半身が瓢箪に隠れた人物。
特徴的なのは背中に染め抜かれた「丸に二つ引」の家紋。
古くから伝わる「引両紋」の内、「丸に二つ引」の家紋は、
室町幕府を開いた足利氏が使用したことで有名。将軍家の権威の象徴ともりました。
同様に足利家が使用した、ちょっとデザインが異なる「足利二つ引」とよばれる紋もあります。
足利氏といえば、今まで判明した題材の中に関係があるものを発見です。
そう、『仮名手本忠臣蔵』の左兵衛督直義(足利直義)です。
さて、物語の始まりは「大序(第一段)」「鶴ケ岡」の段。
ときは、将軍足利尊氏が新田義貞を討ち滅ぼし、南北朝の動乱が沈静化してきた時分。
鎌倉の鶴岡八幡宮では社殿の造替を済ませ、左兵衛督直義が
兄尊氏の代参として鶴岡八幡へと参詣するところです。
「丸に二つ引」の幕を張った馬場先に直義が鎮座して、
鎌倉在住の執事職高武蔵守師直と饗応役の塩冶判官高定が控えています。
この場で塩冶判官の妻「かほよ」に師直がしつこく言寄ったことが、
後の塩冶判官による師直の刃傷事件へと繋がります。
公の場で師直を切りつけたことにより、判官は切腹。
塩冶家はお取り潰しになり、家臣の大星由良之助の仇討ちへと続きます。
どうやら構図も目隠しした大星由良之助から、逃げ隠れているようにも思えます。
実際の仇敵は足利家ではなく高師直ですが、『忠臣蔵』の物語を
より象徴しているようです。
続けて最も奇妙な部分、
【左上】の手足が生えた蔵?が魚を前にお猪口を掲げている図を考えてみましょう。
「魚を肴に蔵がお酒を飲む」ということわざや逸話があるのでしょうか…。
ところで「蔵」…といえばどうしても『忠臣蔵』、「大石内蔵助」の「蔵」が思い浮かびます。
しかしながら、それだけではどうにもしっくり解決しません。
まずは『忠臣蔵』、「大石内蔵助」について調べ直してしてみましょう…。
すると、大石内蔵助が読んだ歌に魚が出てきます。
「濁りえの にごりに魚はひそむとも などかわせみの とらでおくべき」
これは、前述の大石内蔵助が仇討ちの本心を吉良側に悟られまいとして、
放蕩に明け暮れている振りをしている時期に、
カワセミの絵に賛を書いてほしいと頼まれ、読んだとのこと。
「どんなに濁った水の中に魚が潜んでいたとしても、
カワセミは必ずその魚を捕らえる」というこの歌には、
魚を吉良上野介にみたて、屋敷の中に逃げ隠れしている吉良であっても、
必ず我らが首を捕るという、決意の意味で解釈されています。
ふだんは腑抜けのふりをしていても、仇討の心を忘れていなかったという
本心が透けて見えるこの歌。酔いが冷めた内蔵助はあわてて買い取ろうとしたそうです。
ちなみに京都市東山区にある来迎院の茶室含翠軒は、大石内蔵助が建立したもの。
(現在は大正時代に上坂浅次郎氏によって建て替えられたもの)
ここには内蔵助が描いた「翡翠の図」(翡翠=カワセミ)が収められいます。
そして、赤穂市総務部市史編さん室編集の『忠臣蔵 第三巻』(昭和62年)に
泉岳寺の僧から聞き取ったという、討ち入り後の赤穂浪士様子を収めた
『義士実録』(姫路市立図書館所蔵)が掲載されています。
「扨食の上にて酒出し被申候処、何も心よく酒呑被申候、御出家衆被申候は何ニ而も
肴無御坐候得共御酒まいり候得と挨拶被致候得は皆々被申候は何も肴いり不申候、
是程之肴は無御坐候と首之入り候箱を指さし酒飲被申候由」(一部引用)
「「肴はないがといって酒も出た。「肴は要らぬ」。首の入った箱を指して
「これほどの肴はない」といいながら快く飲んだ。」
『忠臣蔵 第一巻』(赤穂市総務部市史編さん室、平成元年)(一部引用)
つまり、討ち入りの後、泉岳寺の集った赤穂浪士たちは、吉良の首を肴に
酒をのんだということです。
この資料と、内蔵助の歌を合わせると、この絵にぴったりだとも思えるのですが、
この吉良の首を肴にするエピソードが、伊藤晴雨の活躍した時代にどれほど民衆に
浸透していたのかは疑問の残る所。
『仮名手本忠臣蔵』にもありませんし、当時の講談の台本を読んでみましたが、
私が調べた程度では、大衆の目に触れる書籍や芸能には見つかりません。
大きな謎を残してすっきりしない、なんとも歯がゆい思いを抱えたままの
検証ではありますが、一考察としてご紹介いたしました。
皆さんならこの奇妙な絵をどの様に解釈されるでしょう?
どんなに研究しても、考察してもその上を行く含みをもった晴雨の作品。
しかしそれこそが、いつ見ても、いつまで見ても楽しめる晴雨作品の魅了ですね。
カタログ編集者を悩ませる、難しくも楽しい晴雨の画業。
その一端が、皆様に伝わりましたでしょうか。
長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。
メルマガ 日本美術そうだったのか通信Vol.387 より抜粋しています。
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