特集:心は仙境に遊ぶ ~南画・文人画~
また、気候風土もその絵画的性質に添加され、華北地方の険しい山岳を硬質な輪郭線で描いた緊張感漂う山水画が描かれる「北宗画」に対して、江南地方のやや穏やかな地形が描かれる「南宗画」の山水には、温暖な朗らかさ漂います。
とはいえ、日本で独自に熟成された南画は、すべてが南宗画に学んだものというわけではありません。
ですから、 温和でどこかゆるくも感じられる描きぶりだけが南画の特徴とは言えず、当時の画家たちは南宗画だけでなく、様々な画派の中国画、古画の表現を学び独自に日本の南画を多様化させて、熟成させていったのです。
そこには柔和で洒脱な描きぶりや、心地よい余白、もしくは張り詰めた奥山の静けさや、荘厳な山岳をなぞる墨線、綿密に描きこまれた極彩色の花鳥のまばゆさといった様々な絵画表現が内包されています。
しかしながら、そのそこかしこに文人たちの深い精神性が溶け込み、自由闊達にして理知的に生み出された絵画風景は、懐深く私達を深遠な世界へいざなってくれるという点は共通しているように思われます。
さて、画題として描かれるのは、主には中国を起源とする深遠な山水画や理想の隠遁生活、憧れの仙境世界といった山間風景で、もちろんここには中国文人たちへの憧憬の思いも感じ取ることができます。
写真や映像など精緻な細密画になれた現代の私達からすると、 その描写はときに、「ヘタウマ?」とも言いたくなるものもありますが、それは南画が絵画技法、技術に重きを置いているというよりはむしろ、その豊かな精神性、俗事に執着せず汚れから遠ざかる「脱俗遠塵」といった芸術理念に重きを置いているからでしょう。
絵画や書における気品や気高い雰囲気、生き生きと感じられる風格は中国画の理想とするところ。
その「気韻生動」の境地は画家自身の高い人格や、精神の深さに由来するという考えが南画のみならず中国画の根底に据えられているのです。
加えて、 対象の外形を写しとることを主とする単純な写実ではなく、画家自身の精神性や心の機微、心象風景までも投影して、そのものの本質を描く「写意」もまた東洋画の重要な表現であり、これも画家の高い教養や精神の充足が如実に反映されることとなります。
そういった、技工からではなく、画家の生き方や精神性、人格の充実によって命を宿した絵画たちは、柔らかいもの、枯れた趣のもの、世俗を離れた厳かな品格を湛えたものなど様々ありながらも、みなどこか瑞々しい感性を湛えています。
前述のとおり、南画は絵画の中に画家の人生をくみ取るのも鑑賞ポイントの一つ。
そして、静謐な奥山の風景の中には、画家の分身ともいえる隠者や自然のままに生きる人の営みの姿が描きこまれることも多くあり、その様子に観者も自身を重ねて画中に溶け込む没入感を味わうのも一興です。
さらに、漢詩の引用や自作の詩文が、あるいは鑑賞者の詩歌が賛として絵画に添えているものが多く、詩書画を一体として味わえるのも大きな見どころです。
中国において、筆法が共通するという考え方から、「書」と「画」は起源を同じくし、根本的には同一のものであるとする「書画同源」の思想があります。
加えて、「詩」と「絵」はともに切っては切り離せないほど密接に関わり合う表現であり、「詩書画一致」 してこそひときわ格調高い芸術に昇華されるのです。詩にふさわしい書体、書法。書にふさわしい詩情。
詩情に調和した画題、画法といった、詩書画三絶の極みが文人の求める境地なのです。
鑑賞する私達も漢詩の知識があるのがもちろん望ましいとは思いますが、初見でスラスラ読み下すのはかなりの難関。
書体や書影の美しさや表現の巧みさ、詩歌、絵画面との調和、情趣をなんとなく感じるだけでも「詩書画一致」の極意を体感できるものと思います。
令和2年7月15日(水)~7月21日(火)の期間 銀座ぎゃらりい秋華洞にて南画の展示をいたします。
忙しい現代の毎日、いまこそ彼らの豊かな精神性や心のゆとりに目を向ける時ではないでしょうか。
南画の精神が息づく新旧の作品を厳選してご紹介しています。↓バナーからどうぞ
こちらの記事はメルマガ 日本美術そうだったのか通信Vol.404 より一部抜粋しています。
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