「内藤出雲守宛 八月廿七日書状」
価格売約済
サイズ15.5×44.0(94.8×48.3)cm
素材紙本墨書
備考軸装
落款
堀江知彦箱
経年劣化
作品番号A2-94-539
作品解説
宛所は徳川家康の家臣内藤忠清。署名に見られる石見守を石州が名乗る寛永元年(1624)と、忠清が出雲守を叙任した正保2年(1645)から推して、石州41歳以降の書状と考えられます。長い挨拶文のほか、頼まれていた茶碗について、見出し次第お届けするといった内容からは、茶の湯における二人の交流が読み取れます。

【読み】
尚々私参 いつかたへも
 わさと無音仕候而返事
-続きはお問い合わせください-
片桐 石州(かたぎり せきしゅう)
慶長10(1605)摂津~延宝元年(1673)大和 江戸時代の茶人、大名。石州流茶道の祖・大和小泉城主。名は貞昌。片桐且元の甥。千道安の高弟・桑山宗仙に利休流の茶法を学び、宗旦や松花堂昭乗らと交遊。小堀遠州を後継して将軍家茶道師範となる。また画を能くし、古器鑑定に優れたほか、造園にも才を発揮した。
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