そもそも私がパソコンと云うものと出会ったのは、中学の「アマチュア無線部」の部室で、アヤシゲな緑色の蛍光を放つモニターに接続されたTK-80BSというNECのマイコンを見かけた時でありました。 スポーツも下手で、とりたてて「とりえ」を見いだせなかった自分が、人生をカケルのは「これだ!」と思った瞬間でありました。
以来、池袋西部デパート、および渋谷西武デパートの「パソコン売り場」、およびご多分に漏れず秋葉原に通い詰めて、当時はまだ珍しく、かつあくまでも「ホビー」としてしか売られていなかったパソコン(当時はパーコンと呼ばれていました)にさわりまくり、BASICという言語でもって、ゲームなどデパートの店頭で勝手に作っては動かしておりました。
同級生にあのスティーブジョブズの「AppleⅡ」を持っている連中もいるらしい、ということを知り、さらにNECから画期的なコンピュータ「PC-8001」というマシンが発売される事を知り(忘れもしない16万8千円)、どうしても、欲しい、と親にねだりました。
ところが、当然ながら、子供のおもちゃにしては高すぎる、親は首を縦に振りませんでした。
ところが、親を何度も説得した(何を言ったかは覚えておりませんが)結果、なんとか入手できる運びになりましたが、実はこのパソコンを私が買ってもらえたのは、厚塗りの油彩画で知られる朝井閑右衛門さんのお陰だったというのです。
当時息子のワガママに業を煮やした?父は、当時古書画をお求め頂いたお客様である朝井画伯に、どうしたことか相談しました。
「うちの息子がなんだかコンピューターなるものを欲しがって困ってるのです」
朝井画伯は雑多な画材道具、油絵の具にまみれた画室で意外な返事をしました。
「いや、これからはそういうものが主力になる時代、無理をしても買ってあげなさい」
朝井さんがそんなことを云うとは意外だったでしょうが、まあ先生が云うなら、と何故か妙に納得して、私はパソコンが買ってもらえることになったそうです。
そういうワケで、私は以来パソコンで、ゲームを作ったり、友達とCGアニメを作ったり(これはとあるコンテストで入賞してアスキーのLoginという雑誌に採り上げられ、何故かソニーの研究室にも話を聞きたいと招かれたり致しました。)しておりました。