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05 紆余曲折の果てに
美術商である父とは、有る意味で断絶していました。
折角東京大学まで卒業させたのに、何を好きこのんで農業などやっているのだ、早く帰ってきなさい、と何度となく父には激しく説得されましたが、私は聞く耳を持ちませんでした。学生時代は筑紫哲也さんの「朝日ジャーナル」などに(かなり単純に)影響を受けて、今から思えばヒダリヨリ?の思考をしていましたので、「企業は悪」、だから企業には入らない・・・と。まずは普通の会社に就職してみたら、という考え方にも耳を貸しませんでした。
父には、特に思想めいたものはありませんでした。家族が仲良くしていればいい、食べていければいい、それ以外は関係ない。それが私には物足りなく、まるで話し相手にもならぬ、というスタンスでした。
しかし、省みてみると、随分心配をかけました。
当時、親にとっては、私が農業などまるで向いていないことをやっているのが歯がゆくて仕方がなかったに違い有りません。