日々の鍛錬の他、そこに楽しみを見出さなければ続くものも続きません。
では、画商としての仕事の面白さとは。挙げれば限りがないので、ここでは大きく”公的な面白さ”を3つ、”私的な面白さ”を3つ、という具合にご説明します。まずは公的な面白さから・・・
この仕事をやることの面白さは、ひとつは「歴史」に直接向かい合うことが出来るということだと思います。
私は学生時代、いちおう理系でしたので、「歴史」にはそれほど興味がありませんでした。が、今の仕事はなんと言っても歴史上活躍した人物の筆跡が、次々に目の前に具体的にあらわれる世界ですから、この人の筆跡、筆跡にあらわれたその人の人格、立場、歴史的流れなどに非常に興味が湧いてきます。
歴史を紐解くと、人間社会にいまも流れる「普遍的」なものと、それぞれの時代や地理的条件がかかわる「特殊性」の双方が少しづつ見えてきて、「今」「自分」や「自分の社会」が立っている位置や、生きるべき方向性が見えてくるように思います。
そして、それぞれの時代に精一杯生きようとした各人の「覇気」や「知性」が作品に現れていて、そのこと自体に味わいがあります。
古くは「大陸」、あたらしくは「欧米」文化の洗礼を絶えず受け続けた日本文化ですが、飛鳥時代から現代まで連綿と続く日本文化のなかに、なにかしら普遍的な日本人のDNA(遺伝子)のようなものがあるように思います。
結局歴史の荒波を越えて残ってきたモノ、そして残っていくモノは、日本人の美意識に適ったモノでしょう。しかもそれらは案外革命的で、新鮮なモノだったりします。日本人の美意識、その息づかいを知っていくことは、楽しいことです。
なんだかんだいっても、美術商の仕事の根本であって、同じ「美術業界」美術館の職員さんや作家さんと違うところは、「美術」に「値段」をつける、というところだと思います。美術を巡るさまざまな言葉、コムズカシイ解説から、通りすがりの人の感想まで、色々あります。この作品は歴史的にどうか。美術論的にどうか。上手か下手か、意義があるか。感動したか、詰まらないか、嫌いか。
しかし業者の競り市(交換会)では、価格が全てです。そのものを、幾らなら買えるか、業者の胆力の競い合いでもあり、作品にとっては、身も蓋もない、市場原理にさらされる場でもあります。
業者の「交換会」は、公開オークションとはまた違う、一種の野蛮さ(業者間の駆け引き)が支配する世界ともいえますが、さまざまな美術を巡る抽象的あるいは宗教的言説がそぎ落とされて、「価格」に還元されるわかりやすい場ともいえると思います。そのものが、欲しいのか欲しくないのか、欲しいのなら、幾らだったら欲しいのか。美術品の価格には「相場」はあっても「正解」はないともいえます。人間のもとめる「美」の「価値」。「美」を巡る様々な人の欲望、希望、義理人情その他。それらを「価格」というものに還元する社会的装置が、美術商だと思います。